第3子誕生など

久々の更新です。
こんな更新頻度の低いブログの読者という存在がいるとは一切思っていないのですが、ずっと昔にアンテナにこのブログを入れたままアンテナを放置、珍しく更新されていたのでうっかりとクリックしたレアな方のために一応ご報告すると…、先月第三子を出産しました。「第三子ともなると特に珍しくもなかったので」すぐにご報告しなかったというわけではなく、生んで割とすぐ〆切があったのと、上の子供達が総崩れで色々忙しかったのでご報告が遅くなりました。
おかげさまで生後一ヶ月経った今、丸々と肥え元気に成長中です。
私のほうも生活が落ち着いてまいりましたし、色々と頑張らねばならない局面(詳しくは矢樹純のブログhttp://d.hatena.ne.jp/ieyagi/20150331をご参照ください)なので、今後ともより一層お仕事頑張ってまいります!!応援のほどよろしくお願いいたします!!<(_ _)>

今後はこのブログの更新頻度も少しは上げていく予定です!!
あいの試し読み↓
http://sample.shogakukan.co.jp/bv?isbn=9784091858597

あいの結婚相談所 2 (ビッグコミックス)

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あいの結婚相談所 1 (ビッグコミックス)

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女囚霊 塀の中の殺戮ゲーム (ビッグコミックススペシャル)

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イノセントブローカー (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

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特設ページ&ラジオ出演、サイン会情報

お久しぶりの更新です。

新刊「あいの結婚相談所」 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4091858597及び近日発売「禁忌〜絶対にやってはいけない13のこと〜」 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4253201156/ref=mp_s_a_1_fkmr1_1?qid=1393878820&sr=8-1-fkmr1&pi=AC_SX110_SY165_QL70
よろしくお願いします!

記事タイトルの通り、新刊発売に際し色々と動いていますのでぜひ以下ご覧ください!

○特設ページ
「禁忌〜絶対にやってはいけない13のこと〜」の発売に際し、2011年8月に掲載された読み切りホラー「赤塗仏」、またボツ企画のネーム(とはいえ作者本人は大変気に入っている作品)「枕返しの棲む部屋」、2005年8月に掲載された読み切りホラー「山童」、一挙3作品を公開中です!ぜひ読んでみて下さい。
http://www.yagi-no-ana.com/kinki.html

○ラジオ出演
加藤山羊作品の原作、矢樹純がラジオFM西東京『Nちゃんねる(仮)』にゲスト出演します!普段本当に知らない人とお話できない人だと思っていたので超意外な展開ですが、本人曰わく放送事故にはなっていないということなので、放送が大変楽しみです!内容は加藤山羊&矢樹純コンビの成り立ちと、作品について語っているそうです。放送は3/5の23:00〜(矢樹純出演は23:30頃〜)で、ネット配信もやっているので全国でお聴き頂けます。詳細はFM西東京『Nちゃんねる(仮)』さ んhttp://www.n-ch.net/でご確認頂けます。ぜひ聴いてみて下さい!

○サイン会
加藤山羊初のサイン会を開催して頂けることになりました!
日時は3月9日15時(イベント集客に応じて終了時間未定)、場所は宮城県仙台市の蔦屋書店仙台泉店内コミックコーナーにブースを設けて行います。
新刊「あいの結婚相談所」「禁忌〜絶対にやってはいけない13のこと〜」のみならず、既刊「イノセントブローカー」、「女囚霊」、また矢樹純の小説「かごめ荘連続殺人事件」も並べて頂きます。また集客によりますが(行列等できていなければ)簡単なトークイベントも行う予定です。
私も矢樹純と同じく知らない人とお話できないタイプですが、却って異常なテンションになることがあり、逆におかしなことにならないか心配です。
集客はほぼ仙台での加藤山羊の認知度に比例すると思われますので、現時点ではあまり沢山は見込めません。宮城やお近くにお住まいの方も、そうでない方も(旅行がてら)是非ともお誘い合わせの上ご来場頂けると大変嬉しいです!!

雑感

早いもので、大震災からもう1ヶ月。被災地にいる人も、少し離れたところにいる人も、震災前とは全く違う、でも震災当日ともだいぶ違う状況になった人が多いのではないだろうか。これだけの被害があると、なかなか平常には戻らない。
この1ヶ月のうち、前半約20日間は子供2人とともに青森に避難して過ごし、10日間は仙台に戻ってきて過ごしている。その間に起きたこと・感じたこと。

夫婦喧嘩の嵐

私たち夫婦は、一致団結して子供を仙台から青森に逃がさねばならず、その後の生活でも、特にしんどい状況にある王さんを励まし、支えあわなければならなかったはずである。それが、しょっぱなから激しい喧嘩を何度も繰り返してしまったのは、たぶんお互いアドレナリンが通常の数倍は出ていたんだろう。
地震発生直後から喧嘩は始まっていた。王さんが生きて帰ってきてくれた、と喜んだのはつかの間、激しい口調で避難の指示を飛ばす王さんにブチ切れ、喧嘩。逃げる最中、信号の点いていない道路上で窓の外の惨状を注視しようとする王さんに、その度チクチク説教し、車内のムードは常にトゲトゲしいものに。助手席の自分がラジオを合わせるのが上手にできなくて怒られ、食べ物や水を渡さないのを気が利かないとなじられる。十和田に到着し、ガソリンが底をつき携帯も全く通じないので待ち合わせ場所から全く身動きできなくなってからは、王さんは生来の短気ぶりを発揮してイライライライラし出し、なだめなければならない自分もついイライラが伝染。
無事に青森に私たちを送り届け、王さんは会社があるので仙台に一人で戻っていった。それからというもの、ガスも通っていない、周辺の店も一つも開いていない仙台の自宅で一人、会社の災害対策本部の中核の役割を担いながら奮闘する王さんに対し、物資やガソリン不足の先が見えないとはいえ、実家でぬくぬくと安心安全な生活を享受する自分との間にある温度差が喧嘩の種となった。
仙台の深刻なガソリン不足と、土日ろくに休めない王さんの激務があいまって、そろそろ…という頃になっても王さんが青森まで迎えに来られない状況の中、「バスで盛岡まで来てくれないか」という提案を受けて「子供二人、うち一人は2ヶ月の赤ん坊を連れて、大荷物持って高速に乗れない高速バスで行くのは現実的でない」と渋ったところ、「そんな(平常時の)感覚じゃ、仙台来てから暮らしていけねーよ」と言われ、何だか凄く悔しいような悲しいような気持ちになる。「そんなん言ってもこっちは子供の生活優先で逃げてきたんでしょう?逃がしてくれたのはあなたでしょう?」と言い返してまた喧嘩。「両親だって、無理して戻ることには反対している」というのもあり、結局盛岡ピストン輸送の話は消えた。
二人の温度差がどれほどのものか、というのを以下に。私は仙台の混乱のひどい状況すらこの目で見ていない。王さんは先の見えない状況の中、インスタント食品を温存するため毎朝米を炊いて、昼の分もおにぎりを握り、戻る私たちのため、灯油すら温存して寒い部屋で凍えながら生活した。基本的に風呂は入れず、それでも風呂好きの王さんは週に1度、3時間かけてヤカンや鍋で浴槽の1/3お湯を溜めたそうだ。そして会社の命で津波被災地の支社に物資を輸送し、社員の親族を探してマスコミも入っていなかった津波で孤立した集落までも、ボコボコの道路を車で幾度も走った。復興のための業務で被災地に出張した時には9日間、24時間態勢で激務をこなし、床にキャンプ用のアルミマットと毛布だけで寝た。もとの体重がアレとはいえ10キロも痩せた。その間、自分は暖かい部屋で温かい飯をいただき、両親と娘達と楽しく過ごせた。もとの体重がアレなくせに1キロも痩せなかった。それは全て王さんのおかげだ。でも、その温度差はたぶん、埋まらない。これから先も。体験と伝聞の間には、やはり埋まらない溝があると思う。
この温度差による喧嘩や行き違い、きっと他でも沢山発生していた(もしくは今も発生している)問題だと思う。目で見ないとわからないだけでなく、報道が伝えない、伝えられないことって沢山ある。だからみんな、できる限りの想像力を働かせてみてほしい。私も、仙台に戻ってきた今、王さんの話をたくさん聞いて、今後の王さんをいたわって支えるぐらいしか、自分に「今すぐ」できる復興支援は無いと思うので、それらをやっていこうと思う。埋まらない溝はあっても、想像力を働かせて、せめて王さんの気持ちはわかりたい。
そして、アドレナリンの減ってきた今、喧嘩はもうあまりしたくない。

非力

前項の内容とかぶるが、自分は本当に非力だ。王さんを支えるのが今できる支援だ、といってもそれすらも甘えてしまっているところがある。子供がいる、子供が小さいのを心の言い訳にしている節もある。本当はもっとできるはず。仕事にしてもそうだ。漫画家は頼まれてから描くんじゃない、いつでも描いていいんだから、仕事をすることで復興に繋げたいのなら黙って描けばいい話。でも子供や家のこと、物の整理、家の一層の防災対策(主に余震対策)すら満足にできていない状況ではなかなかできない。でもそれだってもっとできるはず。本当に非力で要領が悪くて甘えた性格が嫌になる。
でも、非力な自分に「今」できることがあるとすれば、唯一「愚痴や、人を攻撃するようなことは言わない。」これだろう。アドレナリンが収まっても、やはり不便な生活、今までとは違う余震にも怯える生活が続いている。そんな中、同じ立場の人と世間話程度に苦労を分かち合うのはいい。でもなるべく前向きに。そして不満や不平、いわゆる「お上」への一方的な噛み付き(良い方向に導かない感じの)などは、自分がすべきことじゃない。自分は今、何もできていないのだから。せめて前向きに、明るい気持ちを拡散できるように、それだけは心がけていきたい。そしてもう少し人間として成長して余裕ができたら、本物の支援、復興をやっていきたい。こんな自分で申し訳ない。今からでもがんばって成長することを誓います。日本にとって必要な人材になりたい!!!

温かい飯…ありがてぇッッ!!

王さんの実家に無事到着。久々のおばあちゃん家に長女はテンションが上がり、三輪車にまたがって走り回る。次女の上着を脱がせると、赤ちゃんの集まりでつけていた名札(バナナの形の厚紙に両面テープをつけたもの)をまだつけていてウケた。自分の実家にもこの段階で電話。長期滞在になるのでそちらに世話になることにして良いか、と聞くとOKとのこと。
昼食に義母手作りのハヤシライスをご馳走になる。ずっと食パンかモソモソした缶詰め保存食しか口にしていなかったので、とてもありがたく、そしてめちゃくちゃ美味しかった。ゆっくり休憩させてもらった後、自分の実家に移動。その途中でまたガソリンがピンチになるが、青森も行列になっていて売り切れも出始め、なかなか入れられない。省エネドライブを心がけ、結局エンプティを振り切った後に何とか2000円分入れることができた。
自分の実家に着き、風呂を頂いて、焼き魚や野菜などの、これまた温かい、ありがたい飯をいただく。美味かった。そしてビールもいただく。授乳中とかは非常時なので関係ないことにした。鬼女板に晒されませんように。ビール1杯程度、習慣的でない飲酒なら乳児に影響はないそうですよ。晒されませんように。
しかし、ニュースを見ると本当に悲惨な状況で、そんな中生きて無事逃げて来られたことが嬉しいとはいえ、まだ今も生きるか死ぬかの状況にある人、家族を亡くした人のことを考えると胸が苦しくなる思いだった。

北上

朝4時起床(とはいえ、正味2時間半しか寝てないわー)。毛布の上から非常用のアルミシートをかぶって寝ていたのだが、暖かいがとにかくカサカサうるさい。子供たちにもかけてあげていたのだが赤ちゃんが「ビクッ」とするたびに「ガサッ」となってこっちがびっくりする。
先に起きていた夫とナビで現在地を確認すると、ガソリンの残量から考えて何とか十和田までなら行けそうと判断し(車に残っていたガソリンのみで走っており、途中のスタンドは閉鎖か大行列のため、一度も給油できていなかった)、4号をまた北上。もう暖房ももったいないので切って娘たちにはアルミシートをかけておいた。
十和田についた段階でもガソリンはまだ少し余裕があったのだが、十和田からはもう大きい町が無いので、スタンドが開き始めた時のことを考えて十和田に留まることにした。この段階で十和田はまだ断水。十和田市役所のトイレの水すら出なかった。公衆電話から王さんの実家に連絡して現在の状況を話すと、ありがたいことに除雪機のガソリンを抜いてまで携行缶で持ってきてくれるそうだ。国道沿いのコンビニで待ち合わせ、無事ガソリンを入れてもらい(この時、義両親は本当にお世辞抜きでヒーローでした)、まずは王さんの実家に向かうことに。

青森に逃げるぞ

王さんは帰宅して開口一番「青森に逃げるぞ」と言った(夫婦二人とも実家は青森)。今晩の暗闇と、ライフラインの絶たれた今後の生活を生後2ヶ月にならない次女を抱えてどう過ごすか、を必死でシミュレーションしていた(この時点でガスは1週間ぐらいかな、と予想)(とりあえず地域の避難所に行くしかないと考えていた)自分は、頭がうまく回らず「え?連絡もしないで?(すでに携帯も固定電話もパンク)」とか「高速は大丈夫なの?」とか今思えば頭が災害モードに切り替わっていないための寝ぼけた発言をしていた。災害モードに完全に切り替わっている王さんに「日が落ちないうちに早く準備しろ」と急かされ、「確かに、次女のことを考えたら絶対に逃げた方がいいし、今逃げないと逃げられなくなるかも知れない。」とようやく理解できたので、王さんと協力して落下物を踏まないように全部ゴミ袋に片付け、冷蔵庫がまた開かないようにガムテープで固定し、元栓を閉め、コンセントを抜き、当面の着替え、薬などの必需品(なぜか化粧品一式も忘れなかった)、非常持ち出し袋、食料(食パンやお菓子類)、車中泊用の毛布や布団を準備し、そしてなぜか作りかけの角煮をタッパーに詰め(焦っている人間は何をするかわからんもんですね)、なぜか懐中電灯はすっかり忘れたまま、王さんの帰宅後わずか1時間で赤子と3歳児を連れて家を出たのだ。外に出ると無常にも雪が激しく降り始めていた。
王さんの「まずは主要道路に出たほうが良い」との判断で国道4号を目指す。道路はひび割れ、無数の段差が出来ている。信号は止まっているが交通整理などまだ行われておらず、優先の道路は優先側しかほとんど行けず、それ以外の道路は阿吽の呼吸で行くしかない。そういう意味で、4号を目指したのは正解だった。4号に出ると、超主要な交差点のみ信号がついている(非常時用電源があるようだ)以外はやはり信号が止まっている。助手席からの景色は、家の瓦が落ちていたり、店舗のガラスが割れていたり、店舗の植え込みが崩れているなど、地震の大きさを物語るものだったが、「こりゃ三陸の方は大変だな」と王さんと話してはいたが、内陸の4号を走っている我々には想像し得ないような状況が、この時海側で起きていたのだ。
ずっとラジオをかけていても、同じことを繰り返すばかりで、高速の情報はなかなか入ってこない。途中2つぐらいのICまで行ってみてダメだったので「やっぱり通行止めみたいだね」と言って出戻り、もうひたすら4号を行くしかないと決意。夕食なんだか何なんだかわからない食パンをみんなで食べながらしばらく走る。20時頃、一関市内に入ったあたりで、さすがに子供もそろそろトイレに連れて行かねばならないだろうということで、ナビ上に出てきた一関市役所を目指す。自分は全く知らなかったのだが、サバイバル能力の高い王さんによると、こういう時市役所は「災害対策本部 兼 避難所」になるそうで、非常用電源もあるしトイレの水も出るそうなのだ。実際、行ってみると避難民が集い、暖をとっていた。ちなみにトイレは水が出たのだが「節水に協力を」「小は流さないでください」となっていたので自分も長女もちゃんと流さずに出た。避難民への食料が配られ始めていたのだが(もちろん我々は頂きませんよ)、こんな時に、配られた弁当を持って「あっちの寿司と取り替えてもらおうよ」と話している、いい年の夫婦がいて「うわぁあ…」と思った。携帯で何度か青森に連絡をはかったのだが全くダメだったので、市役所の公衆電話からかけてみると、何とつながった。王さんによると、公衆電話は固定電話とは違う回線を使っているので災害時でもつながりやすいのだそうだ。双方の実家に、避難を始めていること、そちらも大変だろうけど(この時点で青森も停電中)、可能であれば世話になりたいことを伝え電話を切る。
市役所を出てしばらく走ると、ずっと昼寝していた割りに長女はまた寝始めた。自分と王さんは、ラジオから少しずつ入ってくる情報に、今回の地震がとにかく「ただのもんじゃない」ことを知り始めていた。
23時頃、岩手町役場付近で力尽き、役場の前に車を停めて仮眠。しかしテレビを全く見ていなかった王さんが車のテレビでニュースを観始め(「すげーことになってるよ」と言われたが最後部座席に寝ていたのと、今は睡眠の方が大事と思って画面は観なかった)、流れてくる音声で津波の被害が甚大であることを知り、なかなか寝付かれなかった。