雑感

早いもので、大震災からもう1ヶ月。被災地にいる人も、少し離れたところにいる人も、震災前とは全く違う、でも震災当日ともだいぶ違う状況になった人が多いのではないだろうか。これだけの被害があると、なかなか平常には戻らない。
この1ヶ月のうち、前半約20日間は子供2人とともに青森に避難して過ごし、10日間は仙台に戻ってきて過ごしている。その間に起きたこと・感じたこと。

夫婦喧嘩の嵐

私たち夫婦は、一致団結して子供を仙台から青森に逃がさねばならず、その後の生活でも、特にしんどい状況にある王さんを励まし、支えあわなければならなかったはずである。それが、しょっぱなから激しい喧嘩を何度も繰り返してしまったのは、たぶんお互いアドレナリンが通常の数倍は出ていたんだろう。
地震発生直後から喧嘩は始まっていた。王さんが生きて帰ってきてくれた、と喜んだのはつかの間、激しい口調で避難の指示を飛ばす王さんにブチ切れ、喧嘩。逃げる最中、信号の点いていない道路上で窓の外の惨状を注視しようとする王さんに、その度チクチク説教し、車内のムードは常にトゲトゲしいものに。助手席の自分がラジオを合わせるのが上手にできなくて怒られ、食べ物や水を渡さないのを気が利かないとなじられる。十和田に到着し、ガソリンが底をつき携帯も全く通じないので待ち合わせ場所から全く身動きできなくなってからは、王さんは生来の短気ぶりを発揮してイライライライラし出し、なだめなければならない自分もついイライラが伝染。
無事に青森に私たちを送り届け、王さんは会社があるので仙台に一人で戻っていった。それからというもの、ガスも通っていない、周辺の店も一つも開いていない仙台の自宅で一人、会社の災害対策本部の中核の役割を担いながら奮闘する王さんに対し、物資やガソリン不足の先が見えないとはいえ、実家でぬくぬくと安心安全な生活を享受する自分との間にある温度差が喧嘩の種となった。
仙台の深刻なガソリン不足と、土日ろくに休めない王さんの激務があいまって、そろそろ…という頃になっても王さんが青森まで迎えに来られない状況の中、「バスで盛岡まで来てくれないか」という提案を受けて「子供二人、うち一人は2ヶ月の赤ん坊を連れて、大荷物持って高速に乗れない高速バスで行くのは現実的でない」と渋ったところ、「そんな(平常時の)感覚じゃ、仙台来てから暮らしていけねーよ」と言われ、何だか凄く悔しいような悲しいような気持ちになる。「そんなん言ってもこっちは子供の生活優先で逃げてきたんでしょう?逃がしてくれたのはあなたでしょう?」と言い返してまた喧嘩。「両親だって、無理して戻ることには反対している」というのもあり、結局盛岡ピストン輸送の話は消えた。
二人の温度差がどれほどのものか、というのを以下に。私は仙台の混乱のひどい状況すらこの目で見ていない。王さんは先の見えない状況の中、インスタント食品を温存するため毎朝米を炊いて、昼の分もおにぎりを握り、戻る私たちのため、灯油すら温存して寒い部屋で凍えながら生活した。基本的に風呂は入れず、それでも風呂好きの王さんは週に1度、3時間かけてヤカンや鍋で浴槽の1/3お湯を溜めたそうだ。そして会社の命で津波被災地の支社に物資を輸送し、社員の親族を探してマスコミも入っていなかった津波で孤立した集落までも、ボコボコの道路を車で幾度も走った。復興のための業務で被災地に出張した時には9日間、24時間態勢で激務をこなし、床にキャンプ用のアルミマットと毛布だけで寝た。もとの体重がアレとはいえ10キロも痩せた。その間、自分は暖かい部屋で温かい飯をいただき、両親と娘達と楽しく過ごせた。もとの体重がアレなくせに1キロも痩せなかった。それは全て王さんのおかげだ。でも、その温度差はたぶん、埋まらない。これから先も。体験と伝聞の間には、やはり埋まらない溝があると思う。
この温度差による喧嘩や行き違い、きっと他でも沢山発生していた(もしくは今も発生している)問題だと思う。目で見ないとわからないだけでなく、報道が伝えない、伝えられないことって沢山ある。だからみんな、できる限りの想像力を働かせてみてほしい。私も、仙台に戻ってきた今、王さんの話をたくさん聞いて、今後の王さんをいたわって支えるぐらいしか、自分に「今すぐ」できる復興支援は無いと思うので、それらをやっていこうと思う。埋まらない溝はあっても、想像力を働かせて、せめて王さんの気持ちはわかりたい。
そして、アドレナリンの減ってきた今、喧嘩はもうあまりしたくない。

非力

前項の内容とかぶるが、自分は本当に非力だ。王さんを支えるのが今できる支援だ、といってもそれすらも甘えてしまっているところがある。子供がいる、子供が小さいのを心の言い訳にしている節もある。本当はもっとできるはず。仕事にしてもそうだ。漫画家は頼まれてから描くんじゃない、いつでも描いていいんだから、仕事をすることで復興に繋げたいのなら黙って描けばいい話。でも子供や家のこと、物の整理、家の一層の防災対策(主に余震対策)すら満足にできていない状況ではなかなかできない。でもそれだってもっとできるはず。本当に非力で要領が悪くて甘えた性格が嫌になる。
でも、非力な自分に「今」できることがあるとすれば、唯一「愚痴や、人を攻撃するようなことは言わない。」これだろう。アドレナリンが収まっても、やはり不便な生活、今までとは違う余震にも怯える生活が続いている。そんな中、同じ立場の人と世間話程度に苦労を分かち合うのはいい。でもなるべく前向きに。そして不満や不平、いわゆる「お上」への一方的な噛み付き(良い方向に導かない感じの)などは、自分がすべきことじゃない。自分は今、何もできていないのだから。せめて前向きに、明るい気持ちを拡散できるように、それだけは心がけていきたい。そしてもう少し人間として成長して余裕ができたら、本物の支援、復興をやっていきたい。こんな自分で申し訳ない。今からでもがんばって成長することを誓います。日本にとって必要な人材になりたい!!!